小学生同士のケンカの理由など、たいしたことがないものだ。

他の人と違う事をするとか、違うものを持っているとか、あいつがあいつを好きに違いないとか。

他愛も無い噂と、ちょっとした誤解が、そういった事態を巻き起こす。

「おまえら4年は、体育館で遊べよ」

だからこれも、他愛の無い喧嘩、

 

 

「いやだ」

 

 

・・・の、筈だった。

 

 

 

 

少年ロード

 

 

 

グラウンドの真ん中。

ボールを抱えた6年生数人と、縄跳びを持った4年生10人が対峙していた。

6年生の先頭に居るのは、身体が大きく学校でも評判の悪ガキ。

それと相対しているのは、学校でも評判の変わり者で身体が小さい少年だった。

通常ならば、6年生の命令には下級生は素直に従う。体力で劣る下級生が物理的に勝てる見込みはないし、なにより単純に「年上である」という威圧感が、どんな不条理も飲まざるをえない圧倒感をかもし出していた。

しかしそんなそぶりを微塵も見せずに、むしろ逆に睨みつけるようにして(これは只単に少年の三白眼のせいなのだが)言われた拒絶の言葉に、後ろに控えていた取り巻きがぎろりと睨んだ。

それだけで少年の後ろの何人かはすくみ上がってしまったが、少年は全く意に介していないようで、揺ぎ無い眼で目の前を見ていた。

「ここは、ぼくらが先に遊んでたんだ」

「そんなの関係ないね」

ボールを片手で弄びながらにやにやと笑って取り巻きは言った。

「これから俺らはここでサッカーやるんだ。サッカーっていうのは、グラウンドの半分を使うんだぜ?ここで縄跳びなんかやられたら邪魔なんだよ、遊ぶんだったら、」

取り巻きは顎をしゃくって、もう半面のグラウンドを示した。

「あっちでやってな」

少年が眼をやれば、もう既にそこは人でいっぱいになってしまっていて、とても彼らの遊ぶスペースはない。もう一度正面に視線を移すと、彼らは嘲るような表情でこちらを見つめていた。

「・・・な?これで解ったろ?今更あっちでやろうったってスペースが無い。だから体育館でやったらどう「デスカ」って、言ってるんだよ」

「体育館だってここと同じだよ。今更遊ぶスペースなんて無い。だから僕らは給食を早めに食べてここに来たんだ」

昼休みも半ば頃の時間であった。今が一番混雑している時間帯であろう。ましてや10人という大所帯での縄跳びは、サッカー程ではないにしろ、それなりのスペースを取る。

給食を早めに切り上げる、ということは少年が提案した事であった。彼はあまりこういった集まりには興味がないのだが、彼の城である図書館で、延々と身の無い論議を繰り返す彼らを見かねて(というか、早く追い出したくて)つい口を出してしまった。

 

***

 

(給食当番の奴らはそれを済ませてから来ればいい。伊藤先生はそういうのに煩いし・・・なにより人数全員そろわないと出来ない事でもないんだ。後で混ざれば問題ない)

ぽかんとした顔で、彼らは少年の顔を見つめていた。彼が居る事は知ってはいたが、まさか話題に乗ってくるとは思っては居なかったのだ。

少年はその顔をみて、少し不味い事をしたかな、と心の隅で後悔した。

(・・・ふぅん)

集団の中の、ひときわ目立つ髪の毛をした少女がそう面白そうに相槌をうった。彼女の父と母は外国人であったが、仕事の関係上日本で暮らしており、彼女が生まれたのも日本であった。フランス人形のような顔立ちの、たいそう可愛い女の子であったが、一度怒れば手がつけられないと校内で恐れられているじゃじゃ馬だ。

透き通ったビー玉のような瞳で見つめられ、少年は居心地悪げに持っていた本に視線を落とした。

元より余り人目を引くような容姿でもないし、スポーツが得意、というわけでもない。したがって女子に注目される要素は皆無なわけで、実際少年が女子に見つめられるのはこれがはじめてであった。

(あなた、思ったよりバカじゃないのね)

ふわふわした金糸のような髪の毛を手で跳ね上げて、彼女はそう言った。

(アタマの足りない奴・・・って言ってバカにする奴も居るみたいだけど)

感心した、というよか嘲笑に近い微笑みに、少年は何の感情も含まない瞳を向けた。

(きみも―――)

少年はそこで、大人がするような皮肉な笑みを浮かべた。

(思ったより、可愛くないね)

(!!!!)

嘲るような笑みが霧散するように消えて、途端に憤怒の形相が少女の顔を覆った。可愛いといわれたことはあっても、可愛くないと言われたことは恐らく初めてだったに違いない。

隣にいた女子と男子の視線が怯えるように少年と少女の間を行ったり来たりしていた。

(ユ、ユーリアちゃん・・・)

射殺さんばかりの視線で少年を睨みつける少女を諌めるべく、隣の少年が声をかけたが、そのままスライドしてきた視線に何もいえないまま俯く。

とうの少年はそれに気づいているのかいないのか、全くの何処吹く風でのんきにページを捲っていた。

(・・・決めたわ)

腹の底から搾り出すような声音で、少女は――ユーリアは言った。

(アナタも、混ざりなさい)

(いやだね)

(混ざるのよ)

少女が握り締めていたこぶしが、机に向かって叩きつけられた。

(ここまでアタシをバカにしておいて、逃げる気?言っておくけど、売られたケンカは全部買う主義なの。アナタに拒否権は無いわ。給食食べ終わったら、必ずグラウンドに来るのよ)

なにせ、とユーリアは蛇のような笑みを浮かべた。

(アナタは提案者なんですからね。セキニンをもたなければいけないわ)

水を打ったように、図書館は静まりかえっていた。仮に来た生徒はおろか、先生までもが絶句して成り行きを見守っている。

(・・・そういうやり方は好みじゃないな)

重い沈黙の後、少年は本から目を話さずにポツリと言った。

ユーリアの視線が一段と剣呑になったが、少女が少年に視線を合わせる頃には、開かれていた本は閉じられていた。

(でも、セキニンを取るのはスジだから、行くよ。・・・一応)

少年の手には、某有名作家の時代物小説が握られている。

(10分前には来るのよ!)

くるりと向けられた背に、ユーリアは噛み付いた。

(来なかったら、馬のエサにしてやるわよ!!)

大抵はこの台詞で震え上がる。とはいえまだ小さい彼女が意味を正確に知っている筈も無く、彼女の父が大好きな戦争モノの映画の台詞であったが。

(悪いけど・・・)

立て付けの悪い扉を重そうに開いて、少年はゆっくりと振り返って言った。

(給食食べるの遅いんだ・・・僕)

 

その言葉と共に静かに閉められた扉をユーリアは呆然と見つめると、彼女のお気に入りの筆箱を思いっきり扉にぶつけた。

 

***

 

「お前らの都合なんか知るかよ。とっととあっち行け!」

6年生も一向に引こうとしない少年に痺れをきらし不機嫌な調子でそう言った。

こんな時に先陣を切って啖呵をきりそうな彼女はというと、給食当番のために到着が遅れているというなんとも笑える事になっていた。

「マズイよ、相手は6年生だよ」

後ろの方にいた同級生が耳打ちする。

「今日は縄跳びはいいよ。教室行こうよ」

「せめてユーリアちゃんが来るまで待った方がいいよ。ユーリアちゃんなら、何とかしてくれそうだし」

それに少年は答えなかった。そんなことをしたら、ユーリアが烈火のごとく怒り出し、手がつけられなくなるに違いない。これ以上の面倒はゴメンだったし、何より少年のプライドが許さなかった。

バカにされたままで逃げてたまるか。

しかしそんな勇ましい心意気とは裏腹に身体は正直で、緊張の為に膝が笑い始めていた。

「震えてやんの〜!」

それを目ざとく見止めて、上級生はことさらにはやし立てる。少年はそれを意に返さず、ぐっと目の前を睨んだ。

「オクビョウモノ!これでも食らえ!!」

途端にサッカーボールが飛んできて、顔面にそれを受ける。少年の小柄な身体は衝撃を支えきれずに、後ろにしりもちを付いた。

たらり、と生ぬるい感覚がして、少年のシャツに紅いシミをつくる。それを見た後ろの何人かは、恐怖に耐えられなくなったのか泣き出してしまった。

「オクビョウモノはとっとと消えろ!」

「邪魔なんだよ!」

立ち上がろうとした少年をまた突き飛ばして、6年生は少年を蹴る真似をした。靴と共に舞い上がった砂が少年の目に入って、眼の端に生理的な涙が浮かんだ。

「いやだ」

砂が入った片目を閉じたまま、少年は繰り返した。

「出て行くのは、お前らの方だ」

「! こいつっ!」

冷静に言い返した少年の胸倉を掴みあげて、上級生は手を振り上げた。

逆光でまぶしかったのと、眼に入った砂の痛さと、これからの痛みに耐えるように少年はぎゅっと瞼を閉じた。

 

と。

 

「こらぁあーー!!!何やっとるかぁあ!!」

遠くの方から声が聞こえてきて、少年は瞳を薄く開く。

先生と思しき男性が、少年につれられて此方に駆けてくるのが見えた。

「なおえー!先生連れてきたぞー!」

手を振っている男子は、少年の数少ない友達であった。それに安心したように、少年は詰めていた息をふぅっと吐き出す。

「やべぇっ!!」

胸倉を掴んでいた上級生は慌てて手を離すと、クモの子を散らすように逃げていく。だが大人の足に子供が勝てるはずも無く、つかまって一人一人拳骨をもらっていた。

 

上級生が先生に引っ立てられ、泣きやまない生徒を別の先生が懸命に宥めていた時。

「・・・大丈夫か?」

しりもちをついたまま動かない少年に、駆けつけた男子が手を差し伸べた。

「・・・うん」

手を握って起こしてもらったが、まだ重心が定まらないようにふらふらとしていた。転んだ時に足も挫いたらしく、足首がじくじくと痛んでいた。

「先生、なおえ君を保健室に連れて行きます」

肩を貸した状態で、少年が宥めすかすのに忙しい先生にそう声をかける。振り向いた彼は自分が行こうか一瞬逡巡したが、泣いているのを放っておけないと思ったのだろう、素直に頷いた。

 

 

「お前、俺が居なかったら確実に殴られてたぜ」

肩を貸しながら、男子は直衛と呼ばれた少年にそう言った。

「6年生とケンカするなんて、お前やっぱりバカなんだな」

「・・・ケンカしたつもりはないよ。僕は本当の事を言っただけだ」

悪びれた様子もなく、普段の調子で言い放った直衛に、男子は呆れたようにため息をついた。

「そういう態度だから、絡まれたり殴られたりするんだぜ?ちっとは考えろよ」

「殴られたら、誰かが先生を呼びにいくだろ?」

繋がらない会話に、男子が訝しげな表情で直衛を見た。

「たくさんの人の前で殴れば、言い訳できなくなる。あいつらは怒られてきっとグラウンドを使えなくなるだろ?そうしたら皆気兼ねなく縄跳びができる。そう考えた」

「結局お前が殴られるだろ!」

怒ったように男子がそういうと、直衛は鼻血を袖で拭った。

「痛いのは嫌だけど、早くおわるなら、そっちの方がいい。それに得をするのはあいつらばかりって程じゃない」

「根性がつく以外に何かいいことでもあるのか」

「図書室が静かになる」

直衛は、ポケットに持っていた本を取り出して嬉しそうに言った。

「あいつらが居ると、遊べない奴らが図書室で騒ぐんだ。・・・でもこれでやっと静かになる」

「・・・ユーリアに協力したのは、そういう事かよ」

男子は脱力した。その様子を横目で見て、直衛は肩を竦めた。

「協力したつもりは無いけど、結局そうなったね。両方にとって得になるなら、これ以上いいケンカはないだろ?それが僕の鼻血ですむなら、安いもんだ」

あいつらにとっては、これ以上無い位損だけど。と続けていった直衛に男子は苦笑する。

 

「・・・やっぱバカだよ。お前」

 

そう呟くように言うと、男子は一回り小さな少年の頭を軽く小突いた。

 

 

 

 

その後、事の顛末を聞いたユーリアが「何故自分を呼ばなかったのか」と言って激怒した事は言うまでもない。