『新城君』 「はい」 『今度の日曜日なんだけどね、何か予定は入ってるかい?』 「いいえ、その日は特に」 『それは助かった!じゃあ・・・その日私とデートしないかい?』 「はい・・・・・・・・・・・・なんですって?」
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幸果てガーデン
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そう、あの時彼は確かにデートと言った。 だからこれは間違いなく、デートなのだろう。
だから僕の両腕が食材やら何やらでパンパンに膨らんだ買い物袋でふさがっているのも、行く先々がスーパーなのも、彼の知り合いから息子さんですか、などと声をかけられるのも全て偶然だ。
(・・・そう思わんとやってられん)
新城は挫けそうになる自分の気持ちと腕の筋肉を励ますと、上機嫌に駐車場に向かって歩いていく思い人の背中を恨めしげに見た。
(大体、「助かった」という言葉自体おかしい事に気づけ) デートの約束で何故「助かった」なのだ。「よかった」ならまだしも。しかしあの時は自分は仕事中であったし、何よりデートという言葉の衝撃が余りにも重かった。些細な言葉の違いなど気づく訳も無い。
これではデートどころか体の良い荷物持ちではないか。 他人の目には自分達はさぞかし微笑ましい親子に見えているに違いない。
ちくしょう。
車の中という絶好の環境にも関わらず、彼に襲い掛かるどころか手を握る勇気すらも持てない自分に嫌気がさし心の中で吐き捨てる。 想いばかりが空回りする今の状態を何と形容したら良いものやら。耳元で鳴る木枯らしすらも今の自分を嘲っているようで非常にやるせなくなる。
「すまんね、新城君。こんな事につき合わせて」 後ろのトランクを開けながら、笹嶋がすまなそうに言う。 「家内に頼まれたんだが、一人で買うにはいささか多すぎる量でね」 そう言って振られた彼の手には2〜3枚の紙をホチキスで留めたものが握られている。余り大きくないその紙には、どのページにもびっしりと文字が書かれていた。 「いささかどころかただならぬ量ですよ・・・篭城でもするつもりですか」 荷物をトランクへと放りこむと、ぐらりと車体が揺れる。トランクにはすでに3袋買い物袋が入っている。 それを無理矢理奥の方へ押しやり(潰れやすいものは買っていないし別にいいだろう)、出来たスペースに新城はさらにもう一つ荷物を置いた。 「いや、家は家族が多い上に1週間分纏めて食材を買うから、いつもこんな風だよ。普段は家内を連れてくるんだが、旅行に行ってしまっていてね」 後部座席に荷物を押し込みながら、笹嶋は言った。 「それはお子さんも一緒に?」 期待をこめて言われた言葉に、笹嶋はふうとため息をつく。 「いや、家内だけだよ」 その言葉を聞いて気分が下降する。 別にあがりこもうとは思っては居なかったが、もしかしたらという期待も少なからずあった上での質問だっただけに、ショックは思いのほか大きい。 しかし、返事を返す前に笹嶋が続けて言った。
「・・・どうせなら連れて行けと言ったんだけどね」
ちらりと馳せられた視線に思わず、赤面してぎこちなく視線を逸らす。
どういった意味か、など聞けるはずがあるまい。
ややあってから「そうですか」と何とか返した新城にふふふと意味ありげに微笑みかけると、笹嶋は運転席のドアを開ける。 彼も慌ててトランクを閉めると、助手席のドアに手をかけた。 ・・・トランクを閉める際に不穏な音がしたことは、とりあえず黙っておく事にして、新城はシートベルトに手を伸ばす。
下手を打つなよ、新城直衛。
「・・・あれ、いつの間にかお昼を過ぎてしまっていたね」 次の店の駐車場に入ったとき、つけていたラジオから時報が流れる。笹嶋から受け取ったメモを見ていた新城は、車内時計に目をやる。 時間は1:00。 「そういえば・・・腹減りましたね。買い物に圧倒されて忘れてましたが」 ちらりと後部座席に目をやって、新城は言った。 「あと残すは冷凍ものだけだし・・・じゃあ買い物の前に食べてしまおうか。今日のお詫びに私が奢るよ」 「自分で食べるものぐらい、自分で出しますよ」 そう言った新城に、笹嶋は片眉を引き上げた。 「そうはいかないよ。新進気鋭の有能な部下の貴重な休日を私の為に使わせてしまったんだ。私用で連れ回した挙句に飯も食わせないまま放り出したとなれば、上司としてはおろか、人間としての沽券に関わる」 「僕はそんなこと気にしませんがね」 大仰に言う笹嶋に苦笑して、新城が言った。事実あなたと一緒に居られるというだけでこんなにも心が弾んでいるというのに。 大体休日といっても日がな一日本を読んでいるか、散歩するかしかないのだ。無趣味も甚だしい自分に貴重な休日もなにもあったものではない。 「・・・でもまぁ、ここは上司としての笹嶋さんを立てると言う意味で・・・ご馳走になります」 素直にそう言えば、裏表の無い笑みが返ってくる。 「よろしい」 満足げにそう言った笹嶋に、新城は微笑んだ。
適当に入ったレストランは結構有名だったらしい。 入り口のウェイティングリストには名前が書き連ねてあったので、相当待つのかと思ったが、どうやら済んでしまったものだったらしくすんなりと入れた。 皇国内でも有数の大きさを誇るショッピングモールだけあって、テナントで入れているレストランの質も高い。 (流石帝国興産の傘下だけあるな) 以前目を通した資料にこのレストランの名前が載っていたような気がする。 別の店にとも思ったが、元々このモール自体が帝国のものなのだから、どこに河岸を変えようと同じことだ。 新城は諦めて素直に笹嶋の後に続く。 初老の上品なギャルソンが運んできたメニューを受け取ると、それに視線を馳せた。・・・やはり高い。 思わず笹嶋を見やると、さすが営業戦略本部部長だけあって、こういう場は慣れているのか彼はにこやかにギャルソンと会話をしている所だった。 見れば彼は銀に近い金髪(白髪も混じっているのだろうが)で外国人らしかったが、言葉は流暢だった。片目に傷があったが、生来のやわらかい雰囲気のせいか恐ろしい気はしない。 金髪、という所で小学校時代の気性の激しい女ボスを思い出し、聞こえないようにため息をつく。 正直書かれてあるメニューの意味が半分も理解出来なかった新城は、結局笹嶋と同じものを頼んだ。
「やっぱりラーメンの方が良かったかな。こんなに堅苦しいとは」 運ばれてきた料理に手をつけながら、笹嶋はそう独りごちた。 「高々スーパーのテナントなのに、なんて気の入れようだ」 見れば周りはみなスーツに身を包んだいかにもな連中だらけだ。新城はそれに横目で視線を馳せて言う。 「元々高級志向のマーケットですからね。それに合わせたんで・・・」 しょう、と続けようとして目線の端に見覚えのある金髪が映った気がして、新城はぎょっとする。 「・・・どうしたんだい?」 その様子に目を丸くする笹嶋の丁度後ろ側。 胸元が大きく開いた大胆で優雅なスーツを身に纏った美女が、腕組みをして不敵に微笑んでいた。
「御機嫌よう、新城直衛」
思わず片手を額に当てて、顔を俯ける。久しぶりに逢っても全然嬉しくないのは、勿論子供の頃のトラウマがあるからで。 そのすぐ後方には、先ほどのギャルソンがすまなそうに佇んでいた。 「・・・何の用だ」 突然の出現にも驚く気になれず、ぶっきらぼうにそう返すと忽ち眉が跳ね上がる。 「それはこっちの台詞。帝国傘下のレストランで堂々と作戦会議かしら、皇国産業のお二方」 「今日は只の食事ですよ。ご期待に添えなくて真に残念ですが。・・・それに姫君はどうしてここへ?それとも突然雑言を吐くのが帝国流の挨拶ですか」
「ここはアタシの店よっ!!」
一喝。 店内は一瞬にして静まりかえり、後ろのギャルソン他従業員一同が、彼女に見えないように頭を抱えた。 「ユ、ユーリア様・・・」 事態を収拾すべく従業員の一人が恐る恐る話しかけたが、憤怒の形相で振り返った彼女に何も言えぬまますぐに引き下がる。 「敵の懐に飛び込んできてまだそんな軽口が叩けるなんて良い度胸ね、新城直衛。散々帝国の商売の邪魔をしておいて、今度は私の邪魔かしら」 見覚えがあるこの状況に新城はため息をつく。変わっていない。彼女は何も変わっていない。 「こちとら商売ですから。自社の利益の為に社員が身を粉にして働くのは、義務というものでしょう。それにここに入ったのは偶然で、商売を邪魔する気なんて露ほどもありません。・・・出来るなら楽しく食べたかったですがね」 邪魔だと言わんばかりの言い様に、彼女の目は更に釣りあがっていく。辛うじて笑みを浮かべている口端はひくひくと痙攣し始めている。 「なんですって・・・」
「まぁまぁ、とりあえず落ち着きませんか」
表へ出ろと言い出しかねない状況に、事の成り行きを静観していた笹嶋ののんびりとした声が響く。 「店の主たるあなたがそんな大声を出しては、他のお客様もびっくりしてしまいますよ。それにそんなに怒っていては、せっかくの優雅な店の雰囲気が台無しだ」 もちろんあなたの綺麗な顔もね、とさらりと言う笹嶋をユーリアは毒気を抜かれた顔で見つめた。 「新城君、君もだ。昔の「知り合い」に逢えて嬉しいのは解るが、少々口が過ぎるな。本人達にとってはじゃれあいでも、他のお客様達にもそう見えるとは限らない。もうすこし言葉を選びなさい」 めっ、とやさしく諭されては、流石の新城も矛を収めるしかない。それはユーリアにとっても同じらしく未だ納得のいかない風で眉根を引き寄せていたが、これ以上口げんかをするつもりはなさそうだった。 「・・・お嬢様」 お嬢様然とした気性は抜けていないらしく、思っていることがすぐに顔にでる彼女を後ろのギャルソンがたしなめる。どうやらこのレストランは実質彼が運営しているらしい。それに「取締役とよびなさい」とぴしゃりと言うと、眉根を限界まで引き寄せて新城のほうを見る。 「・・・今回はこちらの笹嶋部長に免じて赦してあげるわ。・・・でも今度そんな暴言を吐いたらすぐにでも叩き出して馬のエサにしてやるから」 「・・・私の名前も知っているのかい?」 驚いた風に言われた言葉に、ユーリアは潜めていた眉を緩ませる。 「・・・ええ。皇国産業のことは、支社を出す時に色々と調べさせてもらったわ。貴方の名前はその時に・・・でも」 とたん意地悪そうに目を細めて、彼女は笹嶋を値踏みするように見る。 「貴方は一体何者なのかしら?皇国産業に就く前の詳しい経歴は出てこなかったわ・・・名前以外は、何も、ね」 「皇国産業は君たちの会社より比較的若い会社だからね。本部移転の時にいらないデータなどは削除してしまったから、その時にでも間違って消されてしまったか、どこかに紛れ込んでしまったんだろう」 良くある事だろう?と笑顔のまま言った彼にユーリアは片眉を引き上げた。皇国には喰えない狸まで居るのか。 まぁいいわ。とため息をついてユーリアは言う。気持ちの折り合いがついたのかどうかは解らなかったが、一応引きどきと考えたようだ。 「クラウス、いらっしゃったお客様全員にデザートをサービスして。お詫びにね。それと帰るから車を寄越して頂戴――あと」 優雅なしぐさでユーリアが此方を振り向いた。 いつの間に持ってこさせていたのか、先ほどのギャルソンが恭しく器を置いた。 「ラムレーズンのジェラートでございます」 「それは店の奢りよ。ちゃんと感謝して食べなさい。・・・アタシにね」 誰が、と言おうとしてぐっと言葉を飲み込む。半目で此方を睨む新城にふふんと鼻を鳴らすと、金糸のような髪の毛を翻して颯爽と去っていった。
「・・・やれやれ」 新城は机に突っ伏したくなる気持ちを辛うじて押さえて嘆息する。 「1年分の仕事を一気に片付けたような気持ちです」 「なかなか活発なお嬢さんのようだね」 はははと笑って笹嶋が最後の一切れを口の中に入れた。 「・・・呆れられましたか?」 心配気にそう言った新城に、笹嶋は活発に笑う。 「なに、私だって同期の坪田とあれ位の喧嘩はしたさ。それこそ取っ組み合いだってしたしね。それに比べたら君たちの喧嘩なんて喧嘩のうちにも入らんさ」 ただし、と声を潜めて笹嶋はつけたした。 「帝国興産の連中と取っ組み合うのだけはやめておけよ?奴等は基本的な大きさからして私たちとは違うんだから」 「・・・それは誰の実体験で?」 面白そうに言った新城に、笹嶋は笑って答えなかった。
従業員の尽力とデザートの威力で、レストラン内の雰囲気は戻りつつある。歓談する他の客を何の気なしに眺めてから、新城は机の隅にあったジェラートに目をやった。 「・・・食べるかい?」 食後のコーヒーを飲んでいた笹嶋が言う。丁度目線をやった所を見られてしまったようだ。 それに首を振ると手を組んだ上に顎を乗せて言った。 「・・・いや、僕は結構です。レーズンは余り好きではないので」 「そうかい?じゃ私は遠慮なく」 嬉しそうに器を手に取ると、笹嶋は食べ始める。 窓際で光が入るせいかとろりとしていたそれがスプーンで掬われて笹嶋の口の中へと滑りこんでいく。
それで連想したのか卑猥な画像が頭に浮かび、新城は慌てて彼から目を逸らした。阿呆か僕は。 しかし一旦広がり始めた妄想はもはやとどめる事は出来ず。どうしようもなくなって組んでいた手を離して視線をあらぬ方向へとやる。 必死に違う事を考えようとするが、脳裏に焼きついた画像はなかなか消えてはくれない。表情に出なかったのが唯一の救いだが、あの唐茶色の瞳に見透かされているようでどうにも居心地が悪かった。 彼が自身と格闘している間に笹嶋はジェラードを半分ほど食べてしまっていた。 ふと彼の方を見れば視線を彷徨わせながらあらぬ方向を見ている。暫くその様子を観察していたが気づく様子が無い。ふと何か思いついて口の端に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「はい、新城君」
これには流石の新城も絶句して、何度も視線がスプーンと笹嶋の間を往復した。 もうすぐ30になろうという男を捕まえて何をしているのだろう。
新城の目の前にはデザートスプーンが突き出されていた。
「・・・・・・・・・笹嶋さん。僕は、28です」 たっぷり沈黙してから、がっくりと肩を落として言った。 「うん、そうだね」 「レーズンは苦手です」 「入っていないところをとったから大丈夫だよ」 「普通親子連れでもこんな事はしませんよ」
「恋人同士だったらするだろう?」
最後の言葉にはじかれたように頭を挙げる。 一瞬息が止まりそうになった。 周りのざわめきだけが、嫌に大きく聞こえる。
「今日はデートだったんじゃ、ないのかい?」
もう一度問いかけられて、途端にかあっと体が熱くなる。
そうだ、デートだって言った。 あなたが言ったんだ。間違いなく、そこだけは聞き逃さない。 他は全部忘れても、それだけは覚えている。
―――ちくしょう、これじゃ
ぱくりと音を立てるように、新城はスプーンにかじりついた。 ひやりとした感覚が舌に伝わって、ジェラートが溶けていく。 舌先で転がしてゆっくりと味わってから飲み下す。貴方を味わうように、ゆっくりと。
―――これじゃ、押さえられなくなる
苦手なレーズンの味が広がるが、貴方だと思えば嫌じゃない。
「すごい顔をしているよ」 そんなに苦手だったかい?などと言う彼に、新城はうっそりと微笑みかけた。 苦手だって?冗談じゃあない。
これからはレーズンしか食べられませんよ。
「ご馳走様でした」 と何食わぬ顔で頭を下げる。いやいや、と笑う貴方の顔を俯けた顔から盗み見る。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ もっとも、ご馳走いただくのはこれからですがね。
最初の人、アダムとイブは、蛇に唆され食べてはいけないと言われていた知恵の実を口にしてしまった。その結果、怒った神に至上の楽園から追放され、地上を彷徨うこととなる。 しかしそれが不幸だと、一概に言えるのだろうか。 たしかに、愛すべき人と離れるのは苦痛だし、悲しい事だが、エデンにいた頃の彼らは果たして互いを愛しあっていたのだろうか。
タブーを犯し、エデンを追放されたからこそ、互いに愛を感じあえたのではないだろうか。
どんな不毛な土地でも、二人が出会えば楽園(エデン)だ。 二人にとってどんな美しい場所よりもそこが幸いの果てになる。
「レーズン、苦手だったんじゃあないのかね」 帰りの車内でレーズンを食べている新城を見て、笹嶋が言った。新城はええ、と頷いてから、まだたくさん残っているレーズンの袋を振ってみせた。 「笹嶋さんからもらったあのジェラートが美味しかったものですから大丈夫かと思ったんですが・・・やはりまだ苦手のようです」 良かったらあげますよ、と言うと、笹嶋は微笑んだ。 「はは、流石にそれ一袋はきついんじゃあないのかい?」 袋の中から少しだけ出して口の中に放り込む彼を見て、新城は思う。
もし、口にしたのが片方だけだったら? 神は片方だけを追放したのだろうか。
否、と新城はそこで自身の考えを否定する。 たとえ口にしたのが片方だけだったとしても、もう片方にも勧めるに違いない。
おいしいよ、と。 だから口にしてごらん、と。 自分にジェラートを勧めた笹嶋のように。
だから片方だけが罪に堕ちる事は無いのだ。
そしてそれは甘くて妙な味のする、レーズンのような味だったに違いない。
今度は僕が何かご馳走しますよ。と言うと、予想通り彼は、気にしなくて良いよと笑う。しかしそうはいかない。
貴方に誘われて僕は堕ちた。だから今度は貴方を堕として差し上げますよ。
二人で堕ちた地上は、一体どんな景色なのでしょうね。 まだ想像もつかない場所ですが、きっとそこが僕たちの幸いの果てなんでしょう。
ラジオから流れるクラシックを聞きながら、新城はゆっくりと瞑目する。
さぁ、罪の果実を召し上がれ。 |