知られたなら逃げられない

あなたのその、優しく残酷な手から。

 

 

 

褥中の鬼神

 

 

腕をつかまれ褥へと放り込まれた時、まるで肉食獣に喉笛を噛み千切られるようだ、と感じた。実際、彼の浮かべていた表情はそれと違わぬものであった。

今までの鬱憤もあったのだろう、支給されたばかりの制服は瞬く間にぼろ雑巾にもならない布切れにされて、既に部屋のあちこちに散らばっていた。

首筋を舐められる度に響く濡れたような音が酷く淫猥に聞こえて、笹嶋は思わず瞳を瞑った。

あえて抵抗しなかったのは贖罪の為か、と聞かれれば否、と答える。そんな事で抱かれてやるほど、自分は優しくは無い。

 

ではなぜか。

 

そう問われると苦笑するしかない。

彼が、彼であるから。というのが、今のところ一番近いような気がする。

 

 

そろり、と彼の手が笹嶋の首にかけられる。

先ほどの乱暴な手管とはうらはらに、何か許しを求めるような繊細さで瞳を見る。

彼が抵抗せずにいると、やがて満足したように、それに徐々に力が加わっていく。

 

息が苦しくなって細切れに息を吐くと、それすらも殺そうと彼が噛み付くような接吻をする。呼吸が満足に出来なくなり、意識が遠くなる。眠りに入るような感覚に襲われる。

 

 

 あ あ   し   ぬと は    こうい  う     こ        と 

 

 

不思議と恐怖は無かった。

この男になら、と思っている自分がなんだか可笑しくて、笹嶋は心の中で苦笑した。

  

不意に力が弱まって、喉が引きつるような痙攣を起こす。

と同時に激しく咳き込み、涙と鼻水が一体化する。上に跨った格好の彼はその様子を楽しそうに見つめると、歯で、舌で、笹嶋の肌を愛撫し始めた。

血が滲むほど強く噛み、その血を舌で掬い取る。肌に塗りこむように円を描いて、徐々に下へ。すると痛みが快感にかわってくるのだから始末に終えない。

 

全く、この年になってなんとも浅ましい事だ。

 

不惑の年はとうに過ぎたというのに、自分の甥の年位の、しかも随分と小柄な男から組み敷かれるときが来ようとは、一体誰が予想しただろう?

肉体はそれなりに鍛えてはあったが屈強とは言いづらかったし、顔も美麗とは言いがたい。それは本人も認めるところであったらしく、夕餉を食べ終わった後彼は、文机で執務を片付ける笹嶋の脇に正座して真面目な顔をして言った。

 

 ***

 

「笹嶋さん、僕はご存知のとおり美麗とは縁のない男です。性格が良い訳でもないし、別段床上手という訳でもない」

一体何を言い出すのか。笹嶋の顔にはそう書いてあった。

まるで高級娼妓に一晩を申し込む男のようなその台詞は、何の前触れもなく全く突然に発せられた言葉であった。

「僕がいささか他の者とは違った趣向を持っている事、そしてそれを行使せずにはいられない事、どうかご容赦願います。もし、御気に障ったのならば、後でいくらでも謝ります。 ――しかし、この晩だけは・・・今夜だけは、ご無礼をはたらく事、お許しください」

そう言った彼の顔は真剣そのものであった。

彼の専売特許である人を喰った様な態度で懇願する彼の姿を、笹嶋はぼんやりと見つめる。

――――新城くん、それは・・・」

たっぷり彼の顔を3呼吸分見つめた後、笹嶋はだしぬけに尋ねた。

「それは―――一体どういう意味かね?」

素直な疑問であった。

皇都に帰還したささやかな祝いにと誘ったつもりだった休暇で、何故その台詞が出てくるのか、全く分からなかった。

彼は困ったような、それでいて何か照れたような顔で部屋の彼方此方に視線を動かすと、やがて笹嶋にまっすぐ視線を向けて言った。

「どうやら僕は―――あなたを抱きたいらしい」

諧謔味の微塵も含まれていない言葉であった。目の前の獲物を睨みつけるような瞳に気おされ、笹嶋は体を少し引いた。

 

頭を殴られたような、衝撃だった。

 

「驚愕の程は分かります」

彼は上目遣いで、肩を竦めて言った。まるで他人事のような言い様だ。

「しかし僕も、驚いているのです。正直気持ちの全てを整理できているわけじゃない。海軍の中佐殿、しかも男に懸想しているわけですからね。抵抗はあります」

彼はそこで一つため息をついた。

「ほんの、少しですが」

「・・・君、疲れてるんじゃないのかい?」

年の功か、慌てることなく彼はそう言った。一個大隊で帝国軍を迎え撃ち、俘虜となり、帰還してからまだ1週間も経ってはいない。その間も手続きだなんだと忙しくおちおち休んでもいられぬ状況だったに違いない。

そうでなければ、説明がつかない。

本気で心配そうに言う笹嶋に、彼はいささか不機嫌に口を曲げる。

「・・・例え死ぬほど疲れていても、気のない奴にこんな事は言いません。ご心配はごもっともですが、僕は今戦場よかよっぽどまともです」

それが問題なのだと、笹嶋は心の中で思った。

「しかし、何故私なのだ。他に見目の麗しい将校などいくらでもいるだろうに。なぜわざわざ枯れた花を選ぶような事をするのかね?」

心底不思議そうに笹嶋はそう尋ねた。すると彼は少しだけ諧謔を含んだ口調で言う。

「枯れた花にも、美しさはあります。というか、実はあまり見目麗しい人物は好みではないのです」

「何故だね?抱くなら綺麗なほうがいいと思うが」

「・・・すみません、語弊がありましたね。もちろん、一時の感情で抱く女なら、見目麗しい人物のほうが良いに決まっています。しかし、長く一緒に居るとしたら多少不細工のほうが良い。こと僕に至っては」

「というと?」

笹嶋はまだ得心がいっていないという風な顔で尋ねた。

「不安になるのです。死ぬまで相手の心をこちらに向けておけるような甲斐性もありませんし、最初に言ったとおり、僕は何も誇れるものを持っていないので」

 道に迷った子犬のような顔をしてそう言った彼と暫く見詰め合った後、笹嶋はとうとう耐え切れず噴出した。

快活に笑う笹嶋を見て、彼はばつが悪そうに頭を掻く。

「面白い男だな、君は。・・・そうか、それで私が選ばれたわけか、ははは」

「別に、笹嶋さんが不細工だからという理由ではありません。僕は長く傍に置くなら安心するものがいいのです。物にしろ、友人にしろ―――恋人にしろ」

謳うような調子で言われた最期の言葉を聞こえなかった振りをして、笹嶋はさて、と彼へと向き直った。

「それで、本気なのか」

「何がです」

「先ほどの事柄だよ。私を―――抱きたいとか」

「ああ」

新城は白々しく相槌をうち、それから嗜虐味をたっぷり含んだ笑みを笹嶋に向けた。

「了解、していただけますか?」

ああ、と彼は続けた。

「拒否権はもちろんあります。僕の言葉はあくまで「お願い」で、「命令」ではありませんから。拘束力はもちません。しかし・・・それを行使なさると、いささか『素敵』な事になるやもしれません」

彼は血に飢えた獣のような表情で、笹嶋を見つめていた。

「僕は血を見ると興奮が抑えられないのです。勿論、その結果起こりうる全ての事象に対しては、僕が責任をもって対処させて頂きます。お聞き及びかもしれませんが、僕は「戦場」ではまともではいられない性質でして」

「脅迫かね」

笹嶋は渋い顔で彼に言った。

「いえ、「お願い」です」

「・・・同じ事だ」

北領の会談の時とまるで逆の立場だ。

重い沈黙が部屋の中に降り、笹嶋は半ば懇願するように彼をみる。しかし浮かべられた残酷な笑みは揺ぎ無いものでこれ以上交渉の余地はなさそうだった。

それから彼がまぎれもなく本気なのだという事を汲み取り、笹嶋はため息をつく。この男はどこまでも計算高く、そして容赦がない。

 

「それについて、一つ頼みがある」

「申し訳ありませんが、その約束はできかねます」

はっきりといわれた言葉に、笹嶋ははじかれたように顔を挙げる。彼の凶相がさらに禍々しく歪んでいた。

 

「言ったでしょう、笹嶋さん。僕は据え膳の前に容赦出来るほど、出来た人間じゃあないんですよ」

 

文机に片方だけ乗せられていた笹嶋の腕を、彼は勢いよく掴む。心臓の鼓動が跳ね上がった。

反射的に逃げようと腰を浮かせかけた笹嶋の肩をあいているほうの手で押さえ、体重を乗せて一気に押し倒す。

「・・・っう」

後頭部をしたたかに打ち付け、笹嶋はうめく。彼は制服の前身ごろの合わせ目に手をかけると、それを力任せに引き裂いた。

釦が飛んで、畳に転がった。

「し、新城くん!!ちょ、ちょっと待った!!」

「・・・・・・なんですか」

至極煩そうに、それでも脱がす手は止めずに、彼はそう言った。

「もう待てませんよ。そうでなくても僕は、嫌に成る程十分に待った。もうとめられない」

拒否権がどうとか、先刻言ってなかったか?

と言う前に噛み付くような接吻をされる。口の中を蹂躙され、口の端から唾液が伝う。下腹あたりに熱く硬いものが押し付けられて、全身に鳥肌が立った。

「往生際が、悪いな」

彼の下から抜け出そうともがく笹嶋にいらだった様子もなく、むしろ至極楽しそうに彼はそう言った。もうすでに彼の中では階級差などはどうでも良くなっているらしい。

「素直に僕に・・・殺されろ、笹嶋」

睦言のように囁かれた剣呑な言葉に、笹嶋は目を逸らす。

 

もう逃げる事は、出来そうにも無かった。

 

***

 

突き上げられた瞬間に、意識が一瞬飛ぶ。鈍い痛みが下腹を押し上げるようにしてやってきて、笹嶋は思わず呻いた。生暖かいものが内股を伝う感触。どうやら切れたらしい。

目の端に生理的な涙が浮かんで、それが頬を伝う。一方、芯が震えるような快感もあって訳が分からなくなる。

意味を成さない唸りのような声が、耳の後ろに響く。血と、どちらとも無い分泌物で粘着質な音を響かせるそれに、思わず耳をふさぎたくなる。

しかし、がくがくと震える体と震わせられる体のせいで、彼の両腕は自重を支えるのに精一杯という有様だった。

 

あつい あつい 

てつのようなつめたさをもつ このおとこのおもいは なんとあつく はげしいものなのか。

 

打ち付けられ、刻み付けられる彼の想いに、両腕はとうとう耐え切れなくなり笹嶋はがくりと両腕を折った。

限界まで引き抜かれ、貫かれる。

 

鼻につくのは血臭か、精か。

喘ぐ声は一体どちらのものなのか。

獣のように絡まる二つの体躯を、行燈がちろちろと舐めるように照らしている。

笹嶋が果てる寸前、つながったままくるりとひっくり返され(彼に言わせると、そうとう骨だったらしいが)覗き込むような体勢になる。

思わず怯えたような表情を浮かべた笹嶋を、彼は邪悪な笑みをもって見下ろした。

それに息をのんだ瞬間、体重をかけられた一撃が襲う。

――――――!!!」

笹嶋はたまらず、悲鳴のような声をあげた。

恐らく、こんな声を上げたのは、人生史上初だろう。更に粘着みを帯びた音と快感に、彼は耐えるように首を左右に振った。

閉じる事も忘れた口の端から伝う唾液を彼は舐めると、反射的に逃げを打つ体を押さえ込み更にねじ込む。

荒い息と悲鳴とくぐもった声が木霊する。なんと、なんと浅ましい。

 

嫌ではないなどと思いたくはない。

感じているなどと認めたくはない。

しかし確実に頂点は近づいていた。上りきるのは時間の問題だ。

不意に耐え難い快感が体をつき抜け、笹嶋の体が弓なりに反る。彼の肩にまわしていた腕に力がこもり、抱きしめるような形になる。

 

遠吠えのような声が部屋に響き、体の奥に熱いものが流し込まれた。

体の最奥で脈打つそれを感じながら、笹嶋は意識を手放す。

名前を呼ばれた気がしたが、返事をする前に彼の目の前は暗くなっていた。

 

 

それから一体、どれくらいの時間が経ったのか。

気づくと、投げ出されていた手が見えた。体が重い、自分の体ではないようだ。

身をよじろうとすると、まだ熱をもつ彼を奥に感じて鼻にかかった声が出る。

「大丈夫ですか」

上に乗る彼がそう一言尋ねる。

大丈夫も何も、大丈夫でないようにした本人が何を言うのか。

そう思い横を向けていた顔を彼のほうに向けると、意外にも必死の形相で笹嶋を見つめていた。

怖いのを押し殺すような、泣き出すのを我慢するような表情であった。

「はは」

思わず笹嶋の口から擦れた笑い声が漏れた。嘲りや軽蔑ではなく、悪戯をした子供にあたえるような、許しの笑いだった。

すっと笹嶋の腕が伸ばされて、彼の方に向かう。彼はそれにびくりと体を震わせ、まるで逃げるように体を逸らせるが、繋がったままの体勢ではそれも限界がある。

程なく手は彼の頭に乗せられ、わしわしと撫でられた。

 

瞬間、彼は本当に泣き出しそうな顔になって、それを隠すかの様に笹嶋の胸に顔を押し当てた。

『ご無礼をはたらくこと、お許しください』

それは、きっと彼の本心だったに違いない。彼は自分を意のままにしながらも、内心は怖くて震えていたのだ。

 

拒絶されてしまう事、自分の思いを否定されてしまう事に。

 

(というのは、私の思い上がりかな?)

子供のようにぎゅっと抱きつく彼の頭を撫でてやりながら、笹嶋はそう、そっと苦笑する。

 

そこには、一個大隊を率い辣腕を震った少佐の面影はなく、ただ安堵して寝息をたてる大きな子供がいるだけであった。