拍手ログ(皇国パラレル)

 

 

間隙@


 「・・・というわけで、「帝国興産」による「皇国産業」の敵対的買収についてですが・・・資料の31ページをご参照願います」

室内に一斉にページをめくる音が響く。

そう広くも無い会議室に寿司詰状態になっている役員達は誰もが溝鼠色のスーツを着て、なんだか駆逐されるのを待つ公害動物のようだ、と新城は思う。

米粒程の数字が延々と続くページを見て、新城は思わず欠伸をしそうになる。

 

こんなもの見て、一体何が分かるって言うんだ。

 

ふと見ると、机の端に新城と同じ様な表情で座っている男が居た。

笹嶋、と書かれたネームを見た時、新城はああ、こいつがあの笹嶋か、と思った。

彼は経営戦略本部の部長であった。

書類の判で名前は知ってはいたが、実際に会ったのは本部会議でが初めてであった。

会社の一大事・・・帝国興産による皇国産業への敵対的買収と、これからの経営戦略について話し合う場で延々と続いた堂々巡りの論議。

その中で平然と欠伸をしていた男、というのが初見である。

幸い彼の席が端の方であったのと、皆会議に集中しているようであったので、見たものは居ないようであったが。

新城はそれを見て人知れず笑いをかみ殺した。

 

なんだか話が合うような気がする。

 

 

 

その後の立食パーティーで、先に話しかけてきたのは彼の方であった。

「あの時、見てただろう」

なんの前触れもなくそう言われ、新城はああ、と理由を思いつく。

「すみません、あまりにも堂々と欠伸をなさっていたもので。つい目がいってしまいました」

「・・・浦辺君には言うなよ?・・・ああ、あそこの、今私を睨んでる彼だ。この前も会議で船をこいでいたのがバレて、怒られたばかりなんだ」

「言いませんよ」と、新城は微笑んで言った。

「僕と部長との、秘密です」

「部長!」

小さいが、鋭い声が響き、浦辺という男が近づいてくる。

「席を離れてもらっては困ります!立食とは言えども、ここは公式な場なのですから!」

「わかった、わかった」

彼はそれにぞんざいに返事をすると、新城にウインクをして見せた。

「正直私はこういう場は好きではなくてね、しかし立場柄おろそかにするわけにもいかん・・・因果な役職だよ」

「役職については分かりかねますが、その他のことに関しては全く同意見です」

新城は諧謔味を含ませて言った。「特に身の無い論議を繰り返している時は」

「はは、君とは話が合いそうだな」

彼は快活に笑った。

「新城君、そのうち暇が出来たら飲もう。君とはなんだか初めて会った気がしない」

それはいつになるのやら。新城はニヤリと笑って言った。

「それは・・・接待としてですか?」

「君がその方が都合が良いなら、それでもいいさ」

彼は微笑んで言う。

「接待費は出ないがね」

 

くく、と二人顔を見合わせて笑う。

 

「部長」

底を這うような浦辺の声に、それが最後通牒だと思ったのか笹嶋は慌てて咳払いをして言った。

「では、新城君。その件は頼んだよ」

取り繕った表情で言われた言葉に、新城は笑いをかみ殺しながら至極真面目な顔をして続けた。

「お任せください。きっと部長も満足なさる結果を出してみせます」

 

引き摺られるようにして去っていく彼の後姿をみながら、さて、どうしてやろうかと新城は思った。

 

 

始まってしまった、この思いを。

 

 

 

間隙A


帝国興産との話し合いもひと段落した頃。

ようやく残業地獄から開放され、暇らしい暇が出来、新城は椅子にもたれかかって伸びをする。

時計を見れば定時5分前。さし当たって緊急の仕事は無いため、彼は暫くぶりに予定通りに帰れる事に安堵する。

思えばここの所休憩どころか休みもまともに取れていなかった。

毎週休日出勤が続いた自分の激務ぶりに、今更ながらため息が出る。もし此処で自分が倒れて死ぬような事があったら、まず間違いなく過労死認定がおりるに違いない。

もそもそと帰り支度をしている部下達を横目で見ながら、処理し忘れの書類がないか自分のレターケースを開けた。

何枚か入っていたが、期日にはまだ余裕がある。確認印欄の笹嶋の名前を見て彼は思わず「あ」と呟いた。

 

(新城君、そのうち暇が出来たら飲もう)

 

あの時の約束を思い出し、卓上カレンダーを見る。会議から1週間近く経っていた。

「先輩」

後輩の西田がコートを羽織る手を止めてそう話しかける。

「これから部署の連中と飲みに出かけるんですが、先輩もどうですか?」

「・・・いや」

新城は少し考えてから返事をする。

「片付ける用事がある。せっかく誘ってくれたのに悪いが、君たちだけで行ってくれ」

「また残業ですか?」

日ごろの彼の激務ぶりをよく知る西田はそう心配そうに言った。

「何か手伝える事があれば、僕も残業(のこ)りますが」

「いや、いい。ヤボ用だ」

経営戦略本部の部長との約束をヤボ用呼ばわりは流石に気が引けたが、あえて詳しい事には触れないでおく。じゃあ自分も、という事になりかねないからだ。

彼とは二人で飲みたい、という気持ちがあった。第一部下が一緒についてきたのでは、話したい事も話せなくなるではないか。

(別に部下の悪口を言うつもりは無いが)と心の中で付け足しておく。

「じゃあ待ってましょうか?どうせ・・・」

「西田ぁ、何やってんだ!置いてくぞ!!」

なおも食い下がろうとする西田に、兵藤がそう声をかける。気づけばデスクは殆ど空の状態だった。

それに「はい」と歯切れよく返事をすると、西田はなおも新城を振り返った。

「・・・僕の事はいいから、早く行け。せっかくの交流の場をふいにしてまで、僕に付き合う必要はない」

微笑んで新城は言う。

「・・・はい」

なぜか不満げに西田はそう返した。

でも合流できそうなら、携帯に。と付け足してから、西田は先に行ってしまった兵藤を追いかけた。

 

誰も居なくなりシンとした室内を見渡し、さて、と新城は社内電話に目をやる。

なんと切り出せばいいものか。いや、それよりも彼の予定を先に聞かねばなるまい。仕事の予定が詰まっているようならば、また後日と言う事になるだろうが。

経営戦略本部へ繋がる短縮ボタンを押そうとして、ふと新城は時計を見た。定時から10分ほど過ぎた所だ。

(と言うことは、本部のデスクも此処と同じ様になっている訳だ)

おそらくかけたとしても繋がらないだろう。それに、彼が居るかどうかも解らない。

携帯の番号でも聞いておけばよかったと後悔した自分に、内心苦笑する。

 

会食の最中だというのに、どうやって聞くというのだ。新入社員親睦会でもあるまいし。

 

そして交換している様はさぞかし異様であろう。もしかしたらあの浦辺とか言う男に彼共々怒鳴られていたかもしれない。

(しかし、困ったな)

連絡の取り様が無い。と、新城は腕組みをして電話を睨む。

と、突然内線の呼び出し音が鳴って、新城はビクリと体を震わせた。

普段雑音に紛れている音は、誰も居なくなった部屋に思いのほか大きく響く。受話器を取り上げて、はい営業企画部です、と言うと、電話の向こうの男はのんびりと言った。

―――やぁ新城君

「笹嶋部長」

タイミングのいい男だ。と新城は半ば呆れながらそう言った。

―――もう帰ってしまったかも知れないと思ったんだが、居てくれて良かった

「此方から連絡を差し上げようと思っていた所でした」

―――本部も今までなんやかんやと忙しくてね。連絡するのがすっかり遅くなってしまった。今ちょうどひと段落ついた所だよ。ところで・・・

後ろの方で、あからさまな咳払いの音が聞こえた。きっと近くに浦辺が居るのだろう。途端彼は声を潜め、神妙な声音で続けた。

―――ところで、例の『件』は大丈夫かね?

「・・・はい、それについて少々ご相談したい事があります」

勿論それは方便だ。新城は彼の調子に合わせて言う。

「電話ではしにくい類の話でして。出来ればどこかでお会いしてお話をさせて頂きたいのですが」

―――そうか、ならば「仕方がない」な。会社の会議室は今埋まっているだろうから、外で会おう。場所は君に任せるよ。

言葉の端に嬉しさを滲ませて言う彼に、新城は微笑んで言った。

 

「・・・では、今から10分後にお迎えに上がります」

 

ひときわ大きく咳払いの音が聞こえた。

 

 

間隙B


渋る浦辺を丸め込んで会社を出たのが、それから30分ばかり経った後の事であった。

夜だというのに一向に減る気配すらない人の群れの間を縫うように歩き、路地を曲がる。毒々しい電飾に彩られた大通りとは一変して、そこは控えめなネオンが瞬く趣のある通りであった。

その内の一軒の前で新城は立ち止まる。ビルの間に埋もれるようにして建っている小料理屋で、暖簾には「蓮乃」と書かれてある。

「こんなところがあったとは。私の家は正反対の方向だから知らなかった」

立ち並ぶ西欧風のバーの中に一軒だけのしっとりとした和風な佇まいは、そこだけ別世界になっているようだ。

「義姉さんの店なんです」

そう言って彼は扉を開けると暖簾をたくし上げて中へ入る。笹嶋もそれに続いた。

「いらっしゃ・・・直ちゃん!」

客が帰ったばかりなのか、銚子や皿を片付けていた女が、新城を見るなりそう言った。

「お久しぶりです、義姉さん」

新城がはにかんで言った。

「ここの所顔を見せなかったから心配していたのよ。・・・今日は早くに上がれたのね?」

頭を撫でんばかりに優しく言われた言葉に、新城は苦笑する。結局何歳になっても、僕は彼女の中では鼻水をたらした義弟らしい。

「ええ。やっとひと段落つきまして。それで今日は部長と一緒に」

体を横にずらして、新城は笹嶋を手のひらで示す。どうも、と人懐こく微笑んだ笹嶋に蓮乃は挨拶が遅れた事に頬を染めた。

「やだ私ったら、ごめんなさい。初めまして、私直衛の義姉の蓮乃と申します」

直衛がいつもお世話になっております。とまるで母親のように頭を下げたのに、笹嶋はいやいやと手を横に振った。

「お世話になったのは此方の方ですよ。仕事でも、彼の働きが無かったらどうなっていたことやら」

「それを聞いて安心しました。直衛の事だから、何かご迷惑をおかけしてるのではないかと思って」

義姉さん、とたしなめるように言われた言葉に、蓮乃はおどけた様にそっぽを向いて見せた。困ったように頭を掻く彼と義姉を見比べて笹嶋は微笑む。本当に仲のいい姉弟だ。

「どうぞ座って下さい。狭い店ですけれども」

蓮乃がカウンターの席を手で示した。お礼を言って笹嶋が座り、続いてその隣に新城が腰を下ろした。

「直ちゃんは、いつもので良いわね?部長さんは、何を?」

「辛口で。――それと笹嶋で結構ですよ。蓮乃さん」

苦笑して彼はそう言った。

「もう会社は終わっているわけですから。堅苦しい事はなしです」

そして、と笹嶋は横に座る新城を見る。

「君もだ。私の事は笹嶋と呼ぶ事。いいね、新城君」

含めるようにして言われた言葉に、彼は微笑んだ。

「はい、笹嶋さん」

その二人のやり取りを見て、蓮乃は何か得心がいったような顔をすると、何も言わずに入り口に行き暖簾を外す。

扉の開けられる音に振り向いた笹嶋は「おや、もう看板ですか?」と尋ねた。

時計を見れば、まだ6時を少し回った所だ。これから客が入る頃だろうに、と不思議そうな顔をする笹嶋に蓮乃は意味ありげな微笑を浮かべた。

新城はいささか気が利きすぎる義姉に、小さくため息をつく。前から思っていた事だが、この義姉はエスパーなんじゃないだろうか。と同時に自分の思いも見透かされたような気がして、赤面しかけた顔を慌てて下に向ける。

その様子に蓮乃は、お見通しよと言わんばかりの微笑みを浮かべて、小さくふふ、と笑った。

 

 

トイレに、と席を立った新城が奥に消えるのを待って、蓮乃は笹嶋に切り出した。

「笹嶋さん、有難うございます」

何が、と疑問を張り付かせたままの笹嶋に、蓮乃は困ったような微笑を浮かべた。

「あの子はああいう子ですから、色々と内外に敵を作りやすいんです。昔っから融通が利かないというか、変に愛嬌がない所があって。会社の方々との事も心配していましたが、笹嶋さんのような方とお知り合いになれたのなら、もう安心ですわ。・・・不肖な弟ですが、どうかこれからも宜しくお願いします」

「いやいや、蓮乃さん」

深々と頭を下げる蓮乃に、笹嶋は逆に恐縮して言った。

「私はまだ彼と知り合って日が浅い。今日だって、私が強引に飲みに誘ったようなものだ。頭を下げるとしたら、私の方ですよ」

「強引だなんて、そんな」

手を口元に持っていき、上品に笑って蓮乃は言った。

「あの子はそんな事思っちゃいませんよ。それは、笹嶋さんを此処に連れてきたという事で証明済みじゃあありませんか」

得心がいかない顔で蓮乃を見ると、彼女はウインクをして悪戯っぽく言った。

「・・・あの子は上司でも部下でも、此処には連れてこないんです。此処はあの子の隠れ家ですから。実際お店が開店して3年経ちますが、連れ立って来られたのは笹嶋さんが始めてですわ」

「・・・そうなんですか」

何だか嬉しくなり、笹嶋は素直に微笑んだ。

「それは気に入られていると、自惚れてもいいのかな?」

それを肯定するように、笹嶋の目の前に肴の煮物が置かれた。

二人は顔を見合わせて、ふふふと笑った。

 

 

「義姉さん、雨が降ってきたみたいですから傘を・・・――?何です?」

顔を見合わせて笑う二人を訝しげに見て、新城はそう訝しげに尋ねる。彼女はそれには答えず、はいはい用意しておきます、と言って微笑んだ。

「・・・義姉さん、なにか笹嶋さんに余計な事を吹き込んだんじゃないでしょうね?」

咎めるような口調で言われた言葉に、二人は笑って顔を見合わせた。