どうしようもなく、後悔の念にとらわれる事がある。

 心の中の誰かに謝りたくてしょうがなくなる。

 許してくれと縋りつきたくなる。

 

 そんな狂気じみた思いが不意に心に染み出してくる時は――そんな時は決まって、あの頃の彼の夢を見たときだ。

 

 まだ無邪気に笑い合えていた頃の、他愛も無い――しかしこの上もなく幸せな――夢をみたときだ。

 

However(序幕)

 

 本当に、コレでいいんだな?

 何百回目か分からないほどの自問を繰り返す。

 手の中に握られているのは、唯一枚の紙。

 豪奢な金の箔押しで縁取られた、勅命書だ。

 

 これをもって彼らのところに行くのが、彼の任務。

 そしてそれは大佐命令という、絶対遂行が義務付けられている特務だ。

 しかし、それを請願したのは――他ならぬ自分だ。

 

 「・・・いいのか?」

 大佐が執務机の引き出しから勅命書の紙を出しながら彼に問う。

 「これは彼自らが招いた事・・・当然の結果です」

 大佐を真正面から見据えながら、ガルルはきっぱりと言った。

 「今更撤回の余地はありません・・・――?」

 大佐の沈黙になにか苦笑めいたものを感じ取って、ガルルは訝しげに彼をみやった。すると大佐はペンを持ったままの手を頬にあて、机に肘をついてくつくつと笑っていた。

 「相変わらずだな」

 「・・・」

 困ったように笑う大佐を見て、彼は少し決まり悪げに眉を顰めた。そんなガルルを上目遣いで見やって大佐はペンをガルルについと突きつけた。

 「私が言いたいのはそうではない――このまま粛清を下したとしても、お前の望むようなものは手にはいらん、という事だ」

 「・・・―――何、の」

 明らかに狼狽して、ガルルは顔を強張らせた。

 「お前とは長い付き合いだ。私が―――この俺が、わからいでか」

 その顔には笑みが刻まれている。困ったように笑うこの顔に、ガルルは事のほか弱かった。

 彼もまた、よく似た笑い方をする。

 そんな思いを押し隠すようにガルルは視線を床に落とした。

 「爺どもにコンタクトを取って何をしようとしているのかは知らんが、「遺産」をどうこうするという話なら止めたほうがいい。あれは――我々が制御できるようなものではない」

 (やはり、耳に入っていたか)

 ガルルが心の中の狼狽を押し殺して大佐を見る。星星の明りの逆光でどんな表情をしているのかはよく分からないが、その声はあくまで穏やかだ。

 

 ケロンの、特に大佐が独自にもっているネットワークは侮る事が出来ない。

 大方、ヤツがかかわっているのだろうが。

 

 独特の笑い声と黄色い体色が脳裏に浮かび彼はす、と瞳を細めた。

 

 「―――それで、大佐はどうなさるおつもりですか?」

 「・・・!」

 

 ゆらり、と空気が動いた気がした。と、同時に銀色に光る切っ先が自分の首に当る感触がして、ガルルはそのまま、目だけで後ろを確認する。

 ケロン軍のお庭番、諜報部隊の暗殺兵が静かに殺気を放ちながら後ろに控えている。

 「口の利き方に気をつけたほうがいいぞ、中尉。我々は、軍規の外に身を置いている」

 「・・・」

 打てば響くような硬質な声で告げられた言葉に眉一つ動かさずに、ガルルはゆっくりと視線を前方へと移す。大佐もまた、まっすぐにこちらを見ていた。

 「―――ガルル。その問いには私は答えることが出来ない」

 「・・・」

 「なぜならば、私もまた君のように使われる身分だからだよ。上層部(うえ)の言葉は絶対だ。私ごときでは翻りもしないだろう」

 「知っていて、見逃すと?」

 「・・・お前はおかしな奴だな、ガルル?」

 苦笑して、大佐は目の前の部下を見た。

 「見逃して欲しいのか欲しくないのか、一体どっちなんだ?――・・・まぁいい。その問いには、『ケースバイケース』と答えておこう」

 

 つまり、ケロン軍側に被害が出なければ、このまま静観する、ということだろう。

 昔からケロン軍側の上層部と、「爺」と呼ばれるケロン軍の上層部のOBとは仲が悪かった。

 いざとなれば、全て「爺」のせいにして闇に葬ってしまう事も出来る。

 それがケロン軍側の上層部が導き出した答えだろう。

 

 (一種の脅しだな)

 そして、闇に葬られるのは自分も例外ではない。

 安易だが、一番確実な方法だ。

 反逆者として処断された者達がたどる末路は、皆一様に悲惨の一言を極める。

 

 大佐が軽く手を振ると、首に突きつけられていた刃が引っ込められた。

 それと同時に気配も掻き消えたが、自分に向けられた肌を刺すような殺気は少しも薄れてはいなかった。

 首筋を大仰に2・3度手のひらでなでると、大佐が先ほどの笑みとは打って変わって真剣なまなざしで彼を見つめた。

 「・・・ガルル、考え直せ。今ならまだ間に合う。取り返しがつかなくなる前に、遺産から手を引け。すべてを破壊することが、お前の望みではないだろう?」

 

 それこそ、陳腐な言葉だ。

 ガルルは心の中でせせら笑う。

 取り返しなど当につかなくなっているのだ。彼を自らの手で失わせてしまったあの時から、歯車はずっといびつに回り続けている。

 回り続けている限り、それを途中で止めることなど出来はしないのだ。

 それこそ、失った彼が戻ってでもこなければ―――

 

 ガルルの顔に浮かんだゆがんだ笑みに、大佐は微かに眉をしかめる。そのままついと横を向いて、背面に広がる宇宙の星々を見渡しながら言った。

 「『彼』のことは・・・すまないと思っている」

 「・・・」

 終わったことです、とはどうしてもいえなかった。

 まだ、ガルルの中では何も終わってはいなかったのだ。顔も、体も、心も、すべてあのときのまま。

 

 いや、これは始まりなのかも知れなかった。

 

 失ったものを、いまいちど、この手に取り戻すための。

 

 

 「・・・それでは、失礼します」

 「・・・」

 静かに、何の感情も含めず言われた言葉に、大佐は沈黙をもってかえす。

 とめられるとは、思っていなかった。

 しかし、出来ることなら、この馬鹿げた舞台から手を引いてほしいとおもっていた。

 

 「近々・・・面白い事をお耳に入れられると思います」

 

 去り際、彼がつぶやいた言葉が、いずれ嵐を呼ぶことになるだろうことは、火をみるよりも明らかだ。

 大佐は、ゆっくりと瞳を閉じる。

 扉が閉められたと同時に、重い沈黙がその部屋におりた。

 

 

 「ガルル中尉どのの今後の処遇・・・どういたしましょう?」

 それから暫くたって、静かに背後のものが言った。

 「処断・・いたしますか?」

 それはつまり、裏切り者ということを指す。大佐は、まぶたに星の光を感じながら、静かに言った。

 「・・・いや、それでは爺どもが許さないだろう。やつらの息がかかっている以上、下手に手出しは出来ん」

 「しかし、それでは・・・」

 「――私たちは、演壇にいない」

 突然言われた言葉の真意を測りかねて、暗殺部隊の一人が首をかしげる。

 「我々は、爺どもが用意した席でこの馬鹿げた劇を見ていることしか出来ないのだよ――それが、私たちに与えられた役(ロール)だ」

 そして、見たならばそれなりの代金(つけ)も払わなければならない。大佐は閉じたときと同じ速さで、目を開いた。

 「・・・動きを探れ。気づかれんように、慎重にな。すべてを監視しろ、報告を怠らないように」

 「御意」

 「ああ、それと」

 大佐は思い出したかのように、振り返った。

 

 「『少佐』に、コンタクトを取れ。手段はかまわん。彼ならば――何らかの防御策は施してくれるはずだ」

 

 

 ――幕は、開いていたのだ。――