地鳴りのような音が響いている。

断続的に、しかしそれは確実に近づいている。

(雨が、来る)

しかも未だかつて経験した事がない程激しいものが。

先ほどまで晴れ上がっていた空が灰色の雲に覆いつくされるまで数分とかからなかった。きっと、この空の上には激しい風が吹いているのだろう。

そして、自分の心の中にも。

 

 

先日、彼の部隊の一人が死体で発見された。

知らせを受けて至急ベースへ戻った彼は、陰鬱な気持ちでそれを見下ろしていた。

それはもう、死体とすらも呼べないような有様であった。

おそらく銃で頭を一撃され即死。その衝撃によって頭の周辺はほぼ吹き飛び、ガラスや壁には、ぬらぬらとした赤黒い液体が飛び散り、床には何の臓器か解らぬくらいにミンチにされた肉片が散らばっている。手には電子刀が握られていたが、根元から折れ破片が散らばっていた。

(死体の頭部から肩にかけて吹き飛んでいるところを見ると、使われたのは特殊な弾丸だと思われます。そう、例えるなら―――)

(条約で禁止されているような)

(・・・その通りです)

大戦の頃に製造され、その殺傷能力の高さと残虐性から使用禁止となっていた弾薬。製造方法から工程、製作者に至るまで全て「処理」されたと思っていた。

(暗殺部隊には普通の銃弾は通用しない・・・だからこそこんな骨董品を持ち出して来たのでござろうな)

それとも、これは「大戦」を象徴しているとでもいうのだろうか?

彼は思案する。

あえて大戦時代の武器を使い殺してみせる事で、軍に喚起させたかったのだろうか?

まだ、終わってはいないと。

お前達の過ちは、まだここにあるのだ、と。

 

ケロン軍史上最大の栄誉であると共に恥辱でもあった「大戦」。

確かにそれはケロンに広い領地と富をもたらしはしたが、蓋を開けてみれば領民の決起による内戦、急進派の造反など多くの問題も残している。

そしてかつて無い程の犠牲者と戦争犯罪者を生み出したその戦争は、先の大戦で疲れきっていた人々に厭戦感を抱かせるのには十分であった。

そしてそれは、市民による戦争犯罪の責任追及のデモ中に起きた急進派のテロによりピークに達する。

ベースに軟禁されていた急進派の残党達はすぐさま引き出され、民衆の前に文字通り吊し上げられたのだった。

そうするように進言したのは、勿論諜報部だ。

しかし彼らがそう仕向けなくとも、いずれ誰かが行う事であった。というのも、その当時ケロンは領土の内紛や貿易の問題など、多くの「爆弾」を抱えている状態であったのだ。

内部でゴタついているこの好機を、禿鷹達が見逃すはずもないだろう。

上層部は一刻も早くこの事件を終わらせたかった。

その結果裁判は行われず、残党達は一言も弁解を許されぬまま、驚くほど速やかに刑は執行されたのだった。

目の前で断罪された彼らを見て民衆達は満足したのか、事態は急速に収束した。

しかし(その当時)最新鋭のシステムに四六時中監視され、なおかつ軟禁されていたはずの彼らが、どうやってテロを指示出来たのか、ということについては、結局謎のままである。

デモに参加した住民の約3割が死傷するほどの大きなテロを、誰にも知られぬままに実行に移したのだ。そんな事が指揮官抜きで行えるはずも無いし、指揮官の役割を担えるだけの器量のある部下も、大方捕らえられたか殺されたかして残っては居なかったはずだ。

遺族が今もその事について軍に説明をもとめているが、今のところ何らかの会見が行われる気配すらもない。

闇は、闇のままだ。

(しかし・・・どうやって?軍には民間からの監査役が居る。持ち込むのはおろか、製造するのも不可能だ)

(なんにでも、抜け道はあるでござるよ。大方旧急進派のだれかが、命と引き換えに売ったんでござろう)

大戦が終わった後、急進派の幹部は処刑され、技術者やそれに携わったものの多くが捕らえられ、強制的に精神洗浄を行われた。運よくそれを逃れた者はケロンの力及ばぬ辺境の地へと逃れ、反撃の時を虎視眈々と狙っている・・・というのが市民の巷説であった。

良くある都市伝説のようなものだと思っていたが。

しかし、真偽は別としてこういった死体が出てしまった以上、調査をせねばなるまい。

(調査命令も下っているしな)

(少佐殿からですか)

(元、でござるよ・・・それに)

 彼は少しだけ苦笑して、懐から紙を取り出して軽く振ってみせた。

(これは、諜報部隊大隊長殿からの直々の勅命書でござる)

(「ということになっている」でしょ。・・・どうせ偽造ですよ)

 彼の古くからの友人で、元少佐が少佐であったころからの知り合いはそう言って微笑んだ。

(・・・ま、そういうことにしときますけどね。その方が何かと動きやすい)

(猶予は?)

(大隊長殿が視察(ヴァカンス)から御戻りになられるのが1ヶ月後ですが、彼の秘書が報告を兼ねたご機嫌取りの定時報告(ラブコール)を1週間置きにするはずですから、残りはあと5日、っていうところですね)

(記録庫(ブレイン)に潜り込んで後始末する事を考えると、もっと少ないでござるな。・・・やれやれ)

(諜報屋風情が大手を振ってベース内を闊歩できる良い機会ですよ。ついでだから色々と調べさせて貰いましょう)

(・・・それこそ軍法会議ものでござるよ)

 気楽な部下の物言いに苦笑しながらも、彼は内心穏やかではなかった。

 大戦時代の骨董品。

 部下の言うとおり、そんなものをおいそれとベースに持ち込む事は難しい。

 残党が残っているという可能性も考慮して民間企業のチェックは年々厳しくなっている。大規模な戦闘が行われていない最近では、爆発物や兵器の出力制限までも行われるようになってきているのだ。そんな中で何の疑問も持たれずに、素通りできる人物は限られている。

(・・・上層部)

 

彼の脳裏に、ふと一人の面影がよぎった。

 

 

 絶え間なく降り注ぐ雨。

 来たばかりの頃は不思議だったが、今ではもう通常の事と受け止められる。

 この日向家の近くに住み着いてから、冬樹に尋ねてみたことがある。

 ほぼ毎日のように雨が降るのを、不思議に思った事はないのか。と。

 すると彼はきょとんとした顔をして、そして少し考えてから言った。

 

 じゃあ兵長達は、自分達が当たり前だと思っている事を、不思議に思った事はある?

 

 なるほど。つまりそういう事なのだ。

 

 ここには戦争はない。

 争いも無い。

 美しい蒼い惑星。

 

 自分達の星にはそれが無い。

 戦争がある。

 争いがある。

 冷たく光を跳ね返すだけの鉄の惑星。

 

 ここへ来てから結局一度も帰りたいとは思わなかった。

 「・・・いや、あるか」

 兵長は・・・ドロロは苦笑してそう言った。

 あの日。

 まだ何の疑問も持たずに居られたあの日に。

 あの頃の時代に戻りたい。

 私がゼロロと呼ばれていて。

 ケロロくんが玩具を壊して、私が――「僕」が泣きべそをかいて。

 ギロロくんがそれを追いかけて。

 いつの間にかそれが追いかけっこに変わっていて、僕はいつまでも戻ってこない彼らにやきもきして。

 大分時間が経った後に、何食わぬ顔で帰って来るんだ。

 ギロロくんはばつが悪そうな顔で。

 ケロロくんは満面の笑みで。

 

 『ゼロロ、追いかけっこやろうぜ!』

 

 それからいつの間にか年数が経ち、それぞれの道が分かたれた日から幾星霜。

 再び出会う事が出来たけれど、その道が交わる事は決してない。只、道端から此方を「眺めている」だけ。しかしそれも結局眺めているだけで、お互い何も見えてはいないのだ。

 しかしそれも、

 「当たり前・・・になってしまったでござるなぁ」

 思い出に補足するように、彼はそう独りごちた。別段特別な感傷もなかったが、どこか物悲しい感じがするのは、きっと気のせいなのだろう。

 思い出など所詮今の自分を哀れむ為の手段でしかない。

 そんな甘いものなど必要ない。

 必要なのは、必要な時に、必要な人を守れるだけの力。

 嵐を切り抜けられるだけの、強さ。

 不要なものから、大切なものを切り取れるだけの、想い。

 

 捨ててきた。全部、切り捨ててきた。

 弱い自分も、過去の記憶も、優しい思い出も。

 血、硝煙、爆音、悲鳴と怒号。

 それが今の自分の全てだ。

 

 では、それすらも捨てて地球を守ろうとする自分には何が残るのか。

 

 過去を否定し現在も否定し。未来に受け継がれるものは一体なんなのだ。

 全部捨てて、自分さえ捨てて、名前も失くした自分にとって大切なものとは何だ。

 地球か、人か、それとも・・・

 

 生ぬるい温度の水が、皮膚の表面を滑る。

 それを暫く楽しんで、耳元で煩くなり続ける通信機のスイッチをオンにした。

 

 答えは、出そうに無い。

 

 

 

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