「データは以上です」

『ご苦労』

 銀河圏内、ケロン軍空母内。

 その最下層の小さな部屋内に、メカニカルな人工音声が響く。報告書を持ったその男を囲むように、数十の投射型モニターが並んでいる。ONLINE≠ニ黒い背景に緑の文字で書かれた文字を睨むように彼は顔を挙げた。

 ぴりぴりと肌が裂けるような緊張が立ち込めている。男の胸には決して地位が低い者でないという証がついている。そしてそれは、他のものも皆一様であった。

 ガラス張りの床から見えるのは青く輝く地球。そしてその周りを覆うのは、全てを飲み込まんとする漆黒の闇。

 まさにその中に自分は立っている。

 口を開いたモニタ以外は、まだ不気味に沈黙を守ったままだ。彼はさらにそれらを睥睨するように見渡す。

 一度周りを見渡し、中央の一番大きな画面に目をはせると、その「老人」は自分に視線がとまったのを確かめたのち、重々しく口を開いた。

 『・・・報告書には「記憶の混濁」とあったが?』

 「言葉の通りです。「ミスター・1(ワン)」。彼は前回の洗浄を最後に作業を受けておりません。過去の履歴を調べましたところ、データに何らかの細工が施された跡が見つかりました。マザーの検疫にピックアップがないのも、そのせいでしょう」

 『・・・細工か』

 ワンと呼ばれた老人が呟く。

 「今まで事が露見しなかったのは、細工をした者が情報統制の場に着いていたから。・・・そしてそのなかでもマザーにまで細工が施せるものはそうは居ません」

 『履歴の添付がないようだが』

 「ええ。細工の跡が露見したとたんに仕掛けられていたシステムが作動して、そのデータごとクラックしました。・・・もちろん、それ以前の作業データはマザーから切り離しておきましたから、サルベージは可能ですが」

 『失態だな、とんだ失態だ。ガルル中尉。マザーに侵入を許したばかりか、細工を施された上に何ヶ月もそれに気づかんとは』

 小型モニタの一つがそう静かに言った。

 『尻から手を入れられて腹を探られたというのに・・・本来ならば処分では済まない所だ』

 明らかに敵意をもって言われた言葉にも、ガルルは一瞥をくれただけで反応らしい反応はしなかった。

 大して意に介した風でもない彼に少々苛立ちを含めながら、彼はさらに言葉を続けた。

 『何のために生かされたのか、もう一度良く考えてみることだ。こうやって私の後任として表向きの職務を続けられるのも、君のその特殊な立場にある。地球のサルどもにでも出来る仕事さえ全うできないようなら、この先も思いやられるな?£尉殿』

 「ええ、確かに失態でした。ミスター6」

  数秒後、相手にゆっくりと視線を向けると、口の端だけで笑ってみせた。

「私は既に細工には気づいておりました。そう・・・何年も前から。しかし、私が着任した以前のデータは既に全てクラックされておりましたので、確信をもって報告するには時間が必要だったのです」

 『・・・・・・』

 「以前のデータが残っていたのなら、もっと早く尻から手を抜けたと思うのですが」

  両者は無言でにらみ合う。この場合、先に激昂したものが負けになる。この場所で負けるという事は、この後の両者の立場においても重大な影響を与えるものであるという事だ。

 引き金に手をかけたまま一歩も譲らない両者を諌めるため、「ミスター1」が口火をきった。

『止めろ。6、ガルル。今は些細な事でもめている場合ではないだろう。くだらん戦争ごっこをしないために我々はここに集っているのだ』

『ふん』

「・・・・・・」

 6は不機嫌に鼻を鳴らすと、それきり黙る。ガルルも、殺気をにじませながらも視線を外した。

『―――ともかく、記憶混濁の件はどう対処するつもりだ、ガルル。普通のものならともかく、「適格者」の洗浄は容易でないぞ。ケロン軍中枢・・・特別諜報部の管轄だ。・・・大佐の目は細部まで行き届いている』

『あの辺境生まれの田舎者か。』

口を開いたのは3と書かれたモニターであった。嘲笑を意味する赤いボイスラインが縦に揺らめく。

『先の戦役ではずいぶんとお世話になった。いやはや尻と頭の区別もつかん輩が今や中枢を治める大佐殿だとは・・・いまは亡き将軍もさぞかし――――』

「既に手は打っております」

打ち消すように言い切ったガルルに1は片眉を引き上げる。無言で先を促す彼にガルルは瞑目して微笑んだ。

『随分と自信がおありなのね、中尉?』

 突然響いた甲高い声に、一同がみなそちらを見る。周りを囲んでいるなかでの唯一の女性(少なくとも声で判断する上では)がウットリとした声音で言った。

 『嫌いじゃないわ、そういうのは。・・・でもね。言っているほど簡単なことじゃなくてよ?例えるなら、そう――スコールの中を濡れずに走るようなもの。失敗すれば、確実にあなたの体に穴があくわ』

 そういう趣向も嫌いじゃないのだけれど、と実に楽しそうに彼女は続ける。

 『好みの男性が死ぬのは寝覚めが悪いわ。・・・アナタはどうやってスコールを切り抜けるつもり?』

 「・・・それを話すには、ここでは耳が多すぎます。じき、時がくればわかりましょう。なに、簡単な事です。私達はここで雨宿りをしているだけでいい。雨が降れば、屋外の者達は屋根があるところまで来ざるをえません」

 通信室を、地球の青い光が淡く照らしている。ケロン星から観れば、あまたの星屑と変わりが無いこの辺境の惑星も、近くに寄ればこんなにも美しい。

 顔半分を覆っている彼の仮面が、表情を覆い隠している。しかしその奥の彼の瞳はなんの光も宿してはいなかった。何億光年先まで届く星々の輝きさえ届いてはいない。ブラックホールのように、ただただ深く、昏い闇が広がるばかりだ。

 それから彼の想いを伺い知ることは出来ないが、口の端に浮かべる醒めた笑みと裏腹に、胸の中にはなにか決意のようなものをはらんでいるようであった。

 なにが彼をそこまで駆り立てるのか。

 それが単に「使命感」によるものではないということは、明白ではあったが。

 ガルルは少し間を置いてから一言一言区切るようにゆっくりと言葉にする。

 「・・・ただ、それが血の雨となるか、鉛の雨になるかは、彼らの出方次第ですが」

 『素敵』

 冷たく言い放つガルルに彼女はまた呟いた。

 『銃声で始まるパレードだなんてこれ以上素敵なことはないわ。私達が指揮棒を振るだけで、黒い雨が降り、苦悶と絶望の合奏が始まるのよ』

 『確かに、これほど相応しい舞台は無いな』

 今まで口を噤んでいた5が厳かな声でそう呟く。

 『これなら楽しいパレードになる。だが、そのためにはきちんと準備をせねばな?奴らには最後まで踊りきってもらわんと、せっかくのフェスタが台無しだ』

 「彼らは踊りますよ」

 吸い込まれるように、彼の口の端に浮かんでいた醒めた笑みが消えていく。

 「彼らは必ず、踊りきります」

 もう一度、彼は確認するように、そう言い切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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