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ケロロの朝は早い。 掃除、洗濯、家事(皿洗いだったが)、その他の全てを一任されているからだ。 ギロロには軟弱だの、誇りが無いだのと日々罵られてはいたが、彼はひそかにこの仕事を誇りに感じていた。 「あああ〜、今日は天気がいいなぁ〜、休みてぇなあ〜」 ・・・多分。 そのままゲロゲロ〜と鳴きそうな勢いで、彼は洗濯籠を抱えて庭先に降りた。 飛行機(クルルから言わせれば玩具のようなものらしいが)が美しく雲を引きながら頭上を通りすぎていく。 白いクレヨンで青い画用紙に一直線に線を引いたような、そんな光景が広がっていた。 「ケロン星に居た頃ァ、青い空なんてなかったからねぇ〜。何処も彼処も灰色や銀色で〜・・・あ、でも水中訓練用プールの中は、こんな色だったであります」 「あの精製水の中がか?」 いつの間にか自前のテントから這い出して来ていたギロロが眉間に皺を寄せて言う。いつもは寝ている時間だが、思ったより暖かい気候と、テントの中の蒸し暑さのせいで、冬眠から覚めた蛙よろしく起きてしまったのだろう。 「・・・アレは体中の水分が抜け出るような感覚がして俺は好かん。自分がホルマリン浸けになったような気がする」 「まぁ、我々の体液と同じ濃度で造られているでありますからなぁ。純水っていうのも、ケロンじゃ貴重なものでありますし」 「ここでは純水が普通だがな」 ギロロは、テントの中から空の弾薬箱を出しそれに腰掛けながらそう言った。 「おかげで水には事欠かないが・・・不思議なところだ。地球(ここ)は。空からは水が降ってくるし、ウミとかミズウミとかいうどでかい水溜りもある。ケロンじゃ、水をめぐっての戦争が絶えんというのに・・・」 水を常に必要とするケロン人にとって、それは命と同等だ。地球のように循環するシステムがあればよいのだが、もともと辺境の不毛惑星を改造して作られた人工惑星の為に、いつも水不足に悩まされている。 今でこそ属国と取引をし輸入してはいるものの、年々その取引量は減少し、それを巡ってのいざこざは増える一方であった。 「限りある資源を消費して精製水を作り出すのにも限界がある・・・しかし、ここではそんな事はない。それどころか空から降る水のせいで、銃の整備が追いつかん有様だ。なんともはや、地元の連中からみたら羨ましい悩みだろうがな」 ここに来てから一度も引き金を引かれたことが無い銃を手に、ギロロはしみじみと言う。 「いいじゃないの。平和な証拠ッスよ?ギロロ伍長殿!」 快活にそういってケロロは物干し竿にシーツを引っ掛ける。穏やかな風に揺られて、気持ちよさそうにゆらゆらと揺れる様を見て満足そうに微笑むと、ケロロはてきぱきと洗濯物の山を片付けていく。 「・・・俺は銃の整備をしにわざわざ辺境惑星くんだりまで来たわけではないんだがな」 ギロロはそう嫌味を言ってから、懐からタバコを取り出す。 「それでお前、先週の報告書はもう――――」 「ああああああああああ!!!」 ―――終わったのか、という言葉よりも早く、口に咥えたタバコが絶叫と共に抜きさられる。 「っ、おい!!なにをする!」 「なにがじゃないデショ〜!」 手元でグシャリとタバコを潰して、ケロロは怒ったような顔で言った。 「そんな所で吸ったら洗濯物みんなタバコ臭くなっちゃうでしょうがっ!・・・っていうか、臭いの元はお前かっ、赤達磨!!おかげで先週も先々週も、シーツがタバコ臭いって苦情言われたんでありますよっ!」 「地球人のシーツの臭いなど知ったことか!俺がどこでタバコを吸おうと俺の勝手だ!!」 「吸うなといってるんじゃないであります、せめて洗濯物を干している近くでは吸うなって言ってんダヨ、この火薬達磨!!テントの中で吸えばいいデショ〜、なんでわざわざ外でて吸うのさっ」 「当たり前だ!テントの中には弾薬が置いてあるんだぞ!引火して爆発でもしたらどうするっ」 「本望でしょ〜もともと赤色火薬みたいな色してんだからさ〜、きっと綺麗に―――・・・」 ガチャリ、と音がしてこめかみに冷たいものが当たる。と同時に寒くも無いのに全身から汗が噴出す。振り向かなくても今彼がどのような顔をしているか容易に想像できて、ケロロは愛想笑いを浮かべながら小さくホールドアップをした。 「綺麗に―――なんだ?」 銀色の銃身が光を受けて剣呑に反射する。ケロン星のガンスミスに作らせたギロロの愛用の一丁だ。 彼の銃の腕がどれ程のものなのか、それは長年組んでいたケロロが一番知っている。 「ロシアンルーレットという遊びを知ってるか?玉を一発だけ入れて引き金を引く簡単な遊び(・・)だ・・・それをここでやってみる気はないか・・・?勿論最初は貴様だがな・・・」 地を這うような声音で言われた言葉に、ケロロは視線を彷徨わせながらわざと明るい声で言った。 「や、やだなぁ、それは回転式拳銃(リボルバー)でやらないと意味がないんでありますよ?ギロロくぅん・・・あ!我輩、遊ぶよりも報告書書かなきゃ〜。いやぁ、隊長も楽じゃないねぇ〜いや〜まいったまいった」 ぬるりと緩慢な動作で銃口を避けると、空になった籠を抱えてあわてて濡縁からリビングへと向かう。 足を濡縁にかけて、ふとケロロはギロロを振り返った。 「・・・そういえば」 「まだ何か用か」 話しかけてきたのはそっちでショ、と突っ込んで、ケロロは彼の口に咥えられていた煙草を放った。 「煙草。吸うようになったんでありますな」 音もなく草間に落ちたそれを見つめて、ギロロは微かに苦笑した。 「・・・誰かが俺をやきもきさせるものでな」 「あらん、それはお互い様じゃなくって?」 科をつくって言われた言葉にドキリとして、彼は思わず真剣な表情でケロロを見る。それに彼は困ったように笑って「・・・冗談でありますよ」と続けた。 未だに彼の奔放な言動に踊らされている自分に我ながら腹が立つ。その度に、胸の奥に終って凍らせた筈の想いが表に出そうになるのだ。 これは、いつまでも終っておかなくてはならないものだ。 言葉にしてはいけない。 願ってはいけない。 冗談にしなくてはならないのだ。 「あたりまえだ・・・早く消えろ」 その都度ぞんざいな言い方になってしまうのは、きっと恐いからだ。 穏やかな時間が消し飛んでしまうのが恐いから。 瞑目して、静かにそう告げる。 冗談にするために。 暴れだしそうな想いを、永遠に閉じ込めておけるように。
ケロロは光の中に静かに嗤うと、部屋の中へと消えて行った。
その様子を見届けると、ギロロはため息をついて銃を降ろした。 「・・・もう少し、自覚をもってもらいたいものだがな」 しかし、それがケロロなのだからしょうがない。
全てにおいて諦観してしまっている今の自分もどうかと思うが、ともかく平和であることに越したことはなかった。 戦争がない方がいい。領民が笑って暮らせればいい。出来るだけ無駄な血は流さない方がいい。 理想論だと批判されてもいい。自分の握る銃が、力が、その為に使われているのだと信じたい。 それは皆も同じだ。 しかし、自分達はそれを語るにはあまりにも多くの血を流しすぎてしまった。 血にまみれ、臓腑を掴み、屍の河を渡って此処までやってきた。 そしてそれを導く「適格者」と呼ばれる異能者たち。 ありとあらゆる事態に対応し、確実にそこを真っ平らにする血塗られたティンカーベル。しかし大概は能力を行使した後数年で精神を病み、死ぬという。 一度その立場に祭り上げられた者は、除隊することを許されない。死体は保存され、解剖され、その遺伝子が次の世代に受け継がれていく。
あの力を使うことがなければ。 あの能力を発揮する場所がなければ。 いや、むしろ彼(・)の中から消え去ってくれたら。 洗濯好きな、軟弱で戦争嫌いなただの腑抜けでいることができる。 敵を殺すことも出来ない能無しでありつづけられる。 それがどんなに彼にとって幸せなことか。 幸せ。 ギロロはふと、自分を嘲笑う。 出来もしない事をなぜ幸せだと思うのか。もしかしたら、それは疑問を抱えて生きるよりも、もっと辛い事かもしれない。 (それとも幸せに出来るとでも思っているのか。俺は) 全ての事態から隔絶し、隔離し。 二人だけの世界で。
そのなんと陳腐で幼稚な世界なことか。
それこそ何の解決にもならない。そんな無菌室のような世界では彼はもちろん自分も到底生きられない。 結局自分達は何処まで行っても軍属の走狗でしかない。 軍属は軍の中でしか生きる事が出来ないのだ。 花が茎から切り離されては生きることが出来ないように。 全てから切り離された世界では、自分達は朽ちるしかない。
ただ悪戯に真実を希求することが幸せに繋がるとは限らない。世の中には知らないほうが良い事が多すぎる。 他人の痛みは他人には分からない。自分は彼ではない。他人の闇を推し測る事は出来ない。 「平和な事に越したことはない・・・な」 彼にはいつも笑っていて欲しい。 友人―――親友である自分は、そう思っている。
ふと、空を見上げると青空の端に灰色の雲が覆いかぶさっていた。 まるでギロロの心を透過したかのような雲に顔を顰める。
雨が、来そうだった。 |