3
奇妙な通信が入ったのは、地球時間でいう正午ごろであった。 ケロロの地下基地のさらに深く。全てのシステムを管理している基地の心臓部はある。 何十もの厚い隔壁に守られた数百にも及ぶスーパーコンピュータと、独自の構造を持ったコアシステム。ケロンにおける英知の結晶とも言うべきものがずらりと並ぶ、その一角。 小さく仕切られた部屋に着信をしめすアラートが鳴り響く。 薄暗い部屋の一角がもぞりと動き、続いて金属がぶつかる音が鳴り響く。床中に散らばったパーツと、無造作に投げ出されている試作品を足で退けながら、それは一番大きなモニタへと近づいていった。 ちょこんと置かれている黄色い椅子にどっかと座ると、鷹揚に彼は足を組む。どうやら起きたばかりらしく、いつも人を食ったような笑みを浮かべている彼の口元は、不機嫌そうに引き結ばれていた。 宛名はケロン星作戦本部。しかし、部署を打ち込む欄は意味不明の文字の羅列だ。彼の片眉がピクリと動き、緩慢な動作で彼は横に置いてあった吸いさしのタバコに火を点けた。 彼は優秀であったが、それ故に独断的な部分があった。 彼の行動理論はシンプル。 面白いか、面白くないか。この二つだけである。 彼のこの性格のために、ケロロ小隊はなんどか危機を迎えたが、そのたびに彼は完璧な手際で救ってみせるのだ。 (ピンチから形勢逆転、完膚なきまで叩き潰すほうがおもしれぇ、だろ?く〜っくっく) (さ〜すが、クルル曹長。やる事成す事えげつないでありますなぁ。イヨっ、この性悪っ!冷血漢っ) ふと、彼の満面の笑みが浮かんで、最悪の気分が少し薄らいだ。 低能で意気地なしで、お調子者のどうしようもないヤツ。 しかし、彼が時折見せる邪気のない笑みを思い出すたび、少しだけ暖かくなるのだ。 暗く冷たいこの場所に、光が差すのだ。 何故だかはとうに答えがでていたが、彼はそれを避けるようにコンソールに意識を集中する。 引き込んでしまったら、戻せない。 出て行ったら、戻れない。 暗い場所に慣れすぎてしまった自分は、明るい場所では生きていけない。同時に、明るい場所にいる彼を深淵へと引きずりこむ事は出来ない。 それは、面白くない。 立場にモノを言わせて好きにすることも出来た。 一言命令すれば、低能にして聡明な彼は従ってくれただろう。 しかし、それでは「面白くない」。 それに、そんな下卑た趣味はいかな彼といえども持ち合わせてはいなかった。 暗闇にいるのは、自分ひとりだけでいい。 ひとりだけで、いいのだ。
かたかたと彼の長い指がコンソールを這うように動くたび、小さなウィンドウが開いては閉じる。 やがて、それに重なるようにして一番大きなウィンドウが開き、軽い効果音とともに内容が表示された。
『ねむり ひめ は レンゴクの なか で まどろむ』
本部から送られてくる暗号は大抵3つに分割され、さらに暗号化されて送られてくる。それを独自のツールでトレースし、合成して解読するのが普通だ。 しかしこれはただの一行だけそう書かれてあるだけで、なんの細工も見受けられなかった。 通常ならば、気にも留めなかったであろう。 しかし、彼の指は内容を確認したとたんに凍ったように止まってしまっていた。 何も知らない者がみれば、意味不明なだけの唯一行の文に、彼は感じた事のない恐怖と驚きを抱く。 煙草の灰が長くなり、膝に落ちた事さえ気づかないほど、彼は長い間それに見入っていた。 「・・・凍結・・・した筈だ」 出し抜けにそう呟いたのは、何十分も経ってからの事であった。 モニタの青白い光が彼の眼鏡に反射して、鏡のように文字を映しだしている。 そう、それは凍結された筈であった。 彼の、輝かしい栄誉と肩書きと共に、煉獄の深淵へと追いやられた筈であった。 記憶の奥深くに閉じ込めた、耐え難い痛み。 それを過ちと一言でくくるには、あまりにも多くの犠牲を生みすぎた。目を背け続けてきた地獄の、釜の蓋が今まさに開こうとしている。 不意に熱さを感じて彼は慌てて指を離す。 ぽとりと、フィルタまで焦げた煙草が紫煙を引きながら床に転がった。 眠り姫。 それが何を指すのか、彼はもう既にわかっていた。 ケロン軍の暗部。 汚泥。 無かった事になっている事実は、彼の歴史でもある。
誰かが撃鉄を起こそうとしている。 『彼』を再び銃弾で貫こうとしている。
「・・・今更何をしようってんだ」 呟くように言われた言葉は、誰にも届くことなく隔壁に空しく響く。まだ、終わってはいない。 そう、彼の声が聞こえた気がした。
|